日本でお馴染みの日本プロ野球(NPB)、日本の選手が憧れ海を渡って挑戦するアメリカのメジャーリーグ(MLB)。
今回は、NPBに助っ人として来日し、MLBへ戻って活躍した助っ人外国人を紹介しようと思います。※以下、NPB、MLBと記載。
日本人は何故MLBへ挑戦するの? 移籍するパターンを紹介!
今や、日本人メジャーリーガーは数多く中には、チームに欠かせない存在となっている日本人は沢山います。代表的なところで言えば、世界中の野球ファンなら誰もが知っている『大谷翔平』。成績もさることながら、人間性もファンに愛される一つの理由でもあります。彼に関して言えば、とにかく特別な選手である事は間違いなく、日本人として嬉しいですしリスペクトしているアスリートの一人ですね。
そもそも、日本人がMLBへ挑戦する為の一つの指標としては、
NPBで何年も好成績を残して実績を上げ、所属チームでリーグ優勝、若しくは日本一という最大の目標を達成した者が移籍するパターンがほとんどです。高いレベルに挑戦して自分の実力を試したいと渡米する選手。
もう一つは、ある程度の実績は残しているけど、近年は成績不振により所属チームより戦力外通告を受け、さらに他球団からも誘いがこず、メジャーリーグに挑戦するパターン。
など様々なパターンがあります。
今回は、日本人選手ではなく、助っ人外国人選手に注目してみました。
助っ人外国人選手がMLBへ復帰するパターン
助っ人外国人選手のパターンとして、
①MLBで活躍出来ず助っ人としてNPB球団と契約して活躍したのち、MLBへ復帰するパターン。
②NPBでも活躍できず、MLBの傘下(1A,2A,3A)から契約しMLBを目指すパターン。
があります。
①の代表的な選手としては、
現在、カージナルスへ在籍中の、元読売巨人軍のマイコラス投手。
巨人軍へ入団前のMLB時代は、4勝6敗。思うような成績が残せず日本へやってきました。
2014年(当時25歳)に巨人軍へ入団。
1年目に13勝3敗。
2年目は、右肩痛の影響もあり4勝2敗。
3年目は、14勝8敗
NPB通算3年間で31勝13敗の好成績を残しMLBへ復帰を果たしました。
そして、MLB復帰1年目に18勝4敗の好成績を残し最多勝利を獲得。MLBで見事に復活を成し遂げました。現在もカージナルスで活躍していますし、頑張ってもらいたいです。
パターン②に限っては強烈すぎる選手を2名取り上げます。
『セシル・フィルダー(阪神タイガース)』
この選手は、MLBで4年間プレーし31本のHRは打ったもののほぼ控えとしてくすぶっていました。そこに目を付けたNPBの阪神タイガースが獲得し、フィルダー自身初めてのアメリカ以外でプレーする事になります。春季キャンプ時は日本人投手陣の変化球についていけず凡退の山。打撃コーチとバッティングフォームの改造に着手します。
この事が功を奏し、1年目に打率.302 HR38 打点81 の好成績を残します。契約更新を望む阪神に対して、年俸の大幅アップと5年契約を要求するが、合意に達せず1年で退団。
この事で、MLBへ復帰しました。
MLB復帰1年目にいきなり、HR51本 打点132 をマーク。これは、日本でもニュースとなり話題に。そして、阪神ファンからは悲鳴が聞こえてきました。(笑)
2年目以降も、毎年好成績を残し、
MLB通算13年で 打率.255 HR319 打点1008 を残しています。
日本にきた助っ人外国人選手がMLBへ戻りこれだけの成績を残したのはフィルダーだけではないでしょうか。あの構えと打ち方を小学校の時によく真似て遊んだ思い出が懐かしいです。
『アルフォンソ・ソリアーノ(広島東洋カープ)』
広島東洋カープから始まる。同球団が所有するドミニカ共和国の野球スクール「カープアカデミー」で才能を認められ1996年に来日します。
カープで二軍のウエスタン・リーグで三塁と遊撃を守り、
57試合に出場し、打率.214(131打数28安打)、本塁打0、13打点。
1997年に一軍登録され、9試合出場。17打数で2安打。身体が細いにもかかわらず、この頃からすでに振り回すバッティングフォームであった。また足が遅いことで有名だったようであだ名は『ロバ』と呼ばれていたようです。この年の契約更改では揉めにもめて自由契約となります。
1998年、ニューヨーク・ヤンキースは、ソリアーノの保有権を持っていた広島に310万ドルを支払って保有権を譲り受け、ソリアーノと契約を結びます。
1999年、2000年はほぼ試合にも出場できずにいましたが、
3年目に打率.268 HR18 打点73 を記録。
この年の新人王は『イチロー選手。』 新人王投票では3位に入りました。
2002年は、トリプルスリー(打率.300 HR30以上 盗塁30以上)達成。
2003年は、2年連続HR30 盗塁30 を達成。
4年目以降はコンスタントに好成績を残し、ヤンキースには欠かせない中心選手へと成長していきました。
2006年には、MLB史上4人目のHR40 盗塁40 達成。
その後も移籍先では中心選手として活躍し、
MLB通算16年で 打率.270 HR412 打点1159 を記録。
NPB通算1年(1軍のみ) 打率.118 HR0 打点0
日本での成績を比べても、断然の差ですね。
環境の違い、スタイルの違いもあるかとは思いますが、MLBの野球があっていたのかもしれません。ソリアーノを見出した広島の首脳陣、スタッフには頭が下がります。
なんせ、これだけの選手を見つけ出したわけですから。
この他にも、沢山のアメリカンドリームを掴んだ選手は数多くいます。
今後も、注目して探し出していこうと思います。